writer 齋藤萌
大人になるにしたがって、自分が歩んできた道を誇りに思う反面、いろいろな事情が増えていき、どうにも新しいことに挑戦できない……と感じている方は多いのではないでしょうか。
けれどもどこかで新鮮な気持ちを取り戻したいという思いや、新しいことをして楽しそうに過ごしている人を見て、羨ましいなと感じてしまう自分がいる。そしてまた、臆することなく子どものような好奇心で、どんどん新しいことにチャレンジしている人はやはり魅力的に感じられるものです。
そうした人は自分と何が違うんだろう、どんな思いを抱えているんだろうという興味や、私でも真似できるかな……という小さな希望を持って、この企画「はじめるのはいつだって」では、常に新しいことにチャレンジしている2人の女性の元を訪れました。
▲鎌倉にあるセレクトショップ「Rimini」一人目は、出版社、アメリカ暮らし、広告代理店、専業主婦、鎌倉にあるご自身のお店「Rimini」の経営と、とにかく歩みを止めない広田とも子さん。
前編ではこれまでの人生について、そして後編ではこれから挑戦したいことについてお話を伺いました。
人の縁と好奇心で、前へ前へと進んだ日々
とにかくその多彩な経歴に驚かされる広田さん。新しいことに挑戦する姿は格好良い反面、さまざまな職種を渡り歩いていると、ときに「捉えどころのない人」というイメージを抱かれることもあるのではないでしょうか。
けれども広田さんからは、自分だけの人生を生き抜いてきた人が持つぶれない芯が感じられます。その絶妙なバランス感覚は、どのように養われたのでしょうか。
広田さん
「大学卒業後は、繊維会社に勤めましたが気持ちが乗らず、外資系の出版社に転職。アメリカが発行しているファミリー向け雑誌を手がけている会社です。
こうして編集の仕事を始め、同僚や上司にも恵まれて順調だったものの、当時はやっぱりアメリカへの憧れが強かったんです。そこで24歳の誕生日にニューヨーク行きを決意。父が勤めていた会社の社長の家でお世話になりました。婚約者もいましたが、試練だと思っての旅立ちでしたね。そこから1年とちょっとの間、アメリカで暮らしていたんです」
「何にでも興味がありましたし、刺激のある毎日を過ごし、あちらの生活が性に合っていると感じていました。けれど父から帰国するように厳しく言われ、日本に戻ることに。
望まぬ帰国だったので精神的につらく、もう一度渡航を企んでいましたがうまくいきませんでした。やがて叔母の紹介で、大手広告代理会社顧問の秘書の仕事に就くことになったんです。すばらしい上司に恵まれて充実した日々を過ごしていましたが、結婚と出産で泣く泣く会社を辞め、十数年間は子育てや親の看護をして過ごしました。
全てがひと段落した後『もう一度社会に出なくてはいけない』という気持ちがフツフツと湧いてきたものの、かなりのブランクに戸惑い、『今の自分に何が出来るだろう』と考えていました。そして、ずっと興味のあったファッション業界しかないと思い、40代最後の歳にアパレルメーカーに履歴書を書いたんです」
人間関係で悩まされることも多かったと、配属された百貨店での販売員時代の苦労を振り返る広田さん。けれどもそんな場面でも、私は私、という姿勢を崩さなかったといいます。
「ネガティブな関係に巻き込まれそうになったら『あら、そうなのね』って。うまく受け流していると、段々と人間関係も変わっていったんです」
その後、2002年に北欧アンティークの店を立ち上げ、2009年にはセレクトショップ「Rimini」をオープン。今に至ります。
一度どん底を味わったら、あとは上がるだけ
持ち前の行動力と明るい笑顔で、人生を切り開いてきた広田さん。生来のものもあるのでしょうが、どうやってこの気質を身につけたのか気になります。
「私がまだ小学生のときでした。父が会社を辞めた時期があって。そのときちょうど学校で親の職業について発表する機会があったんです。けれども『無職です』とはどうしても言えなかった……。負けず嫌いの私は、自分の弱みを見せたくなかったんです。
でも、クラスにもう一人同じような境遇の女の子がいて、その子は嘘をつかずに『今は仕事をしていません』と答えたんです。私はなんて強い子なんだろうって感心してしまって。今でも彼女の名前を覚えています」
人前で事情を話すことができなかったものの、当時は母親を喜ばせるために勉強も運動もがんばり、家族を励ますために気丈に振る舞っていたそう。広田さんの「とりあえず行動しよう。できることをしよう」という行動力は、こうした経験から育まれたのかもしれません。
「コロナ禍のときもそうでした。娘は自分のお店を開店したばかりでしたし、私も自営業。商売はできなくなるし、世界はどうなってしまうんだろうと不安でした。けれど一度どん底を味わったらあとは上がるしかない、という気持ちで乗り越えました。
それに自分の年齢もそうですが、状況を受け入れちゃった方がラク。何にでも感謝して、受け入れて楽しんだ方が良いと思うんです。
例えば白髪。白くなったらそのスタイルを楽しむ。老眼も、見えにくくなったらメガネを楽しむ。パンプスが合わなくなったら、スニーカーを楽しむといったふうに。
年齢は生きた証、年輪なんです。愛おしみたいですね」
その時どきの自分の気持ちや興味、そして周囲の人々の状況を受け入れながら、楽しむ方法を探す。そうしていたら、挑戦とともに沸き起こるちょっとした不安や恐怖は、たちまちなくなってしまうのかもしれません。
広田さんの生き方から、そうしたしなやかな強さを感じることができたように思います。
明日公開の後編では、野菜作りに歌に水泳、これから先チャレンジをしたいことについて伺いました。